円頓寺本町商店街

円頓寺本町商店街

円頓寺商店街物語と本町の定期イベントのご紹介です。

円頓寺商店街のはじめの始まり

名古屋と言えば、”南の大須に北の円頓寺” と言われるほど賑わっていた円頓寺の商店街。一昔前まで、盛り場の代名詞となっていたといいます。字のごとく円頓寺の門前町として出来たこの町。現在は、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街、西円頓寺商店街の三つの振興組合から成ります。
門前町と言われる前にこの町の盛り場と言われるようになったのは、江戸時代にさかのぼります。その頃、伊勢、浜松などから海路を渡ってきた塩・茶・漢薬類の船便は、堀川を上がり五条橋あたりで荷揚げをしていました。その船頭や商人が、芸鼓の多い五条橋近辺で遊んだと言われています。その頃すでに今は無き開慶座(円頓寺商店街の東入口近く)があり、当時浮かれ節(浪曲)興業していて人気だったそうです。この下町ならではの遊芸等があって楽しいと、遊んだ船頭や商人たちの口伝えで、地方からも人が集まるようになっていきました。こうして五条橋から開慶座までが最初の盛り場として出来ました。

「七夕まつり」のはじまりは「夏まつり」の仮装行列。

昭和二十年代の円頓寺商店街は毎日朝から深夜まで人があふれかえっていました。当時のイベントはとてもユニークなものだったようです。現在のようにパレードや飾りはありませんでしたが、女装した店主たちが町をそぞろ歩く「花嫁行列」は皆に大ウケでした。買い物客に花嫁がどこの店主か当ててもらうのですが、無精ヒゲをはやしたおじさん達の、かなり本格的な花嫁姿にいつまでも笑いが止まらなかったと聞きます。その他には「もうけない」「もうけない」と言いながら、ハゲかつらをかぶった店主たちが、しゃもじを打ち鳴らして歩いたり、「大売り出し」の、のぼりを立てて走り回る自転車部隊も名物でした。その後「夏まつり」は昭和三十二年に「七夕まつり」に変わっていきます。

名物のマスコット作りはチャレンジ精神から

「七夕まつり」の主役とも言えるロープで吊り下げた飾りが登場しだしたのは昭和三十九年、アーケードが出来てからです。それまでは笹などに飾りをつけて七夕を演出していました。当初は御本坊や那古野小学校で岐阜の竹編み職人さんを招いて竹カゴを作ってもらっていました。もともと女装をしてしまうほどにチャレンジ精神があった商店街の店主たちは、いつしか自分達でも飾りの骨組みを作るようになっていきます。

じつは「円頓寺本町音頭」がある!!

名古屋大空襲後、復興間近の昭和二十六年、応募の中から選ばれた作品です。NHK専属歌手、中野みさを嬢が宣伝カーに乗って、名古屋市中を周り、「円頓寺本町音頭」を発表したというのですから凄いです。本町では「円頓寺新聞」を折り込みで配り始め、新聞記者に記事を書いてもらったというかなり本格的な新聞だったようです。後に、円頓寺商店街共々で発行するようになりました。今、残ってないのが残念です。当時のレコードや新聞を持っている人を探しています。

「円頓寺本町音頭」作詞:斉木錠一 編曲:杉原良雄 歌:中野みさを

一、

咲いたネオンは五色の虹かヨイヨイ
ジャズも流れるきれいな舗道
心うきうき足並みかるく
 サーサ円頓寺本町へ
 サーサ円頓寺本町へ

ニ、

散歩買い物また夕涼みヨイヨイ
誰も行くはず買いよい見よい
何でもありますよいとこ見どこ

 サーサ円頓寺本町へ
 サーサ円頓寺本町へ

三、

お多賀神社へ願かけましょかヨイヨイ
好きなお方とお茶飲みましょか
行けば思いは皆とげられる

 サーサ円頓寺本町へ
 サーサ円頓寺本町へ

第61回円頓寺七夕まつり 2016/7/27(wed)〜31(sun)

夜風に当たりながら、商店手作りの七夕飾りを眺めるのんびり散歩もオススメです。五日間にわたり消防音楽隊パレード、太閤連の阿波踊り、お猿のパフォーマンスなども開催しますのでお楽しみに。

郡上おどり えんじょい祭

円頓寺本町会場の特徴

名古屋駅から徒歩圏の好アクセス

雨でも濡れる事なく踊れます

アーケードのおかげで、下駄の音が響き渡ります

ここ名古屋に踊り助平が集う

2015年で第五回目。回を重ねるごとに踊りの輪がどんどん長くなっています。

キャンドルナイト

アーケードの照明を落とし、二時間だけキャンドルの明かりが灯るほっこりとした商店街となります。アコースティックライブもあります。

お店のセンスも光ります。

各商店がキャンドルのレイアウトを演出し、近所の子ども達もお散歩できる、アットホームな催しです。

時期はクリスマスシーズン

時間は午後6時から8時頃まで。すこしだけ遠回りして帰りましょう。